沿革
明治33年
南蒲原郡三条町(現在の三条市)において、第1回新潟県歯科医会を開催。
当時の歯科開業医は県内で7名。柏崎からは1名が出席した。
治療費の協定を行い、会員の親睦をはかった。
当時の歯科開業医は県内で7名。柏崎からは1名が出席した。
治療費の協定を行い、会員の親睦をはかった。
明治33年
歯科医師法が公布される。
明治40年
新潟県歯科医師会が、新潟県知事の認可を得て発足する。
大正 8年
県内を4支部に分ける。新潟、高田、長岡、新発田。柏崎は、高田支部に入る。
大正 9年
県内を4郡市歯科医師会に再編する。新潟、上越、中越、下越。柏崎は、上越歯科医師会に入る。
昭和4~5年頃
治療面では07:00~20:00頃まで、1日15~20人の患者さんを診ていた。
すべて健康保険は、きかなかった。
歯科技工は、23:00までの夜なべであった。
すべて健康保険は、きかなかった。
歯科技工は、23:00までの夜なべであった。
昭和 6年
歯科医師会は、ムシ歯予防デーに優良児を選定し賞品を授与した。
昭和17年
学校歯科医の設置。学校歯科健診始まる(柏崎小、比角小、枇杷島小)
昭和20年
激動する社会情勢の中で幾多の困難を克服しつつ終戦を迎えた。
昭和22年
社団法人柏崎市歯科医師会設立(会員総数34名)
戦後の混乱期に当たり、混迷する社会の租税問題、健康保険問題、国民健康保険に関する事柄等、山積する諸問題を処理した。
戦後の混乱期に当たり、混迷する社会の租税問題、健康保険問題、国民健康保険に関する事柄等、山積する諸問題を処理した。
昭和31年
学校歯科保健部、福祉共済部、学術部の設立
昭和36年
国民皆保険できあがる。
昭和41年
厚生部の設立。
学校歯科部会による歯科健診開始
学校歯科部会による歯科健診開始
昭和58年
柏崎市「歯の健康展」が年次行事となり現在に続く。
柏崎市歯科休日急患診療開始。
学校歯科部会解散
柏崎市歯科休日急患診療開始。
学校歯科部会解散
昭和59年
社会保険本人の窓口負担1割となる。
平成9年
社会保険本人の窓口負担2割となる。
介護保険法できる。
介護保険法できる。
平成10年
社団法人柏崎市歯科医師会設立50周年
平成14年
柏崎市歯科医師会館が、市内栄町にできる。
平成15年
社会保険本人の窓口負担3割となる。
平成24年
一般社団法人柏崎市歯科医師会へ移行する。
平成28年
柏崎市歯科医師会館の中に、連携室が、新設される。
平成29年
情報発信・蓄積の1つの重要な拠点として、念願のホームページを立ち上げる。
現在、会員数は38名。我々の先人達が地域歯科保健医療の発展と向上に果たしてきた功績を誇りとし、
今後尚一層、地域住民の歯科保健医療の向上のため全会員一丸となって邁進する。
現在、会員数は38名。我々の先人達が地域歯科保健医療の発展と向上に果たしてきた功績を誇りとし、
今後尚一層、地域住民の歯科保健医療の向上のため全会員一丸となって邁進する。